2013年6月5日水曜日

理想と現実

こんばんは。

重ーいタイトルをつけてしまいましたが、そんな話ではなく、どちらかというとただの愚痴です。

私はアルバイトで塾講師をしていますが、もう4年くらいやってるのかな。アルバイトとしては結構な年数やっています。
教えた学年や教科もばらばら。
小学4年生から浪人生まで。
小学生の中受験社会からスタートし、中学数学、中受験算数、高校物理、高校化学、国語、小論文、なんでもやってきました。

そんな中でこれぞ!と思う教科が二つあります。

数学と国語です。

自分が長く教えた教科でもあり、思いいれもあるのですが、本当にこれができないとダメだと思います。
共通点はどちらも言語のようなものであること。(異論はもちろん認めます
数学はアラビア数字や記号を用いた思考の整理ですよね。
国語、つまり日本語を用いて数学の証明をすることもできますが、長ったらしくなるので数式という素晴らしいものを使います。外国の方にも一発で理解してもらえます。
方程式も関数も微分積分も行列も、やっかいなもんが増えたのではなく、素晴らしいツールを教わったと思えないでしょうか。

また、数学は強力な「思考の」ツールとしても使えます。
中学や高校の数学で習う「場合分け」という方法があります。
絶対数やガウス記号が関数に入ってきたりすると出てくるのですが、考え方は非常に簡単で、「相手によって臨機応変に対応しようね」というもんです。きっと。
こんな簡単なものでも、なかなかうまく利用できないことが多いもので、はっと気づくことがあります。
また、場合分けをしたとき、抜けている箇所が無いか探したりもします。
(x<1)and(1<x)だったらx=1が抜けていますよね。(理系ではないのでワープロで数式を打つことになれていません、ご容赦ください)
リアルの世界でも抜けが無いかきちんとチェックする必要がありますし、場合分けをして対応することが必要な場面はいくらでも見つかるのではないでしょうか。


人間の思考力というものは非常に難しくて、何をもって思考力とするのかは難しい話になると思いますが、少なくとも言語を使用した理解力というものは強力な武器になると思います。
国語をしっかりやらないと洗濯機の説明書がよくわからんぞ!
とか生徒に言ってますが、ほんとにそんなもんですよね。
最近の子がそうなのか分かりませんが、国語を教えていて、テーマや語彙に対する知識があまりにも無くて愕然とすることがあります。
作文とか小論文の書き方もそうです。
「ですます」と「だである」の書き分け位は教わらないのでしょうか。
こんなもん小学生でも書かないぞ!
といったら、小学生の書いた作文を怖くて読めません。


大学生活はアルバイトをしつつ、アラドと熱帯魚と趣味で高校数学をやりながらぼや~っと過ごそうと思っていたのですが、なかなか忙しくなってしまいました。
今も僕の本棚には某予備校のM先生とK先生の数学参考書が置いてあります。
高校数学はこの歳になってやると本当におもしろいです。
当時ぐぬぬぬ、と頑張った(?)甲斐があったのでしょうか。


プラトンの『饗宴』レポート提出〆切りが近づき、明日は英語のテスト。
ブログ書いている場合ではないのですが、少し落ち着いて。

それではおやすみなさい。

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