(少しだけブログを更新するつもりが長文になってしまいました。重たい話がてんこ盛りですので、閲覧にはご注意下さい。)
こんばんは。
今バイトで塾講師をしているのですが、医学部志望の生徒を1人教えています。
私の担当は国語なので、センターと小論文対策になります。
現代文・古文・漢文はもちろんですが、とりわけ小論文対策にどうしても熱が入ってしまいます。
生命倫理周辺のお話をするのですが、臓器移植の問題であったり、健康、尊厳、どのようなワードにも触れられるように論を展開しているつもりです。
もとより、生命倫理をやりたくて哲学科に入ったのですが、母が亡くなって以来どうしても触れる気になりませんでした。
というよりも、触れられないのかな。
1年生の最後のゼミで「死」について扱ったのですが、いやつらいつらい。
母が亡くなり、久しぶりに学校に行った直後でしたから、なお更だったのかもしれません。
おまえらになにがわかるんだよ
としか思えませんでした。
物事を論じるには「体験」という要素が多分に入ってくると思います。
感覚、フィーリング、なんとでも表現できると思いますが、あくまでも理性はその追随でしかないのではないでしょうか。
もちろん宇宙や原子などの目に見えないほど大きい、もしくは小さい物質の諸様相に関して論じる場合は別のパラダイムが必要になるのかもしれませんが、
目の前で起きている事象を私たちが持っている視覚、聴覚、触覚、嗅覚、などの感覚器で感じ、それを脳内で再び感じる。
その一連の流れを言葉というちっぽけな縛りの内でどれだけ表現できるのでしょうか。
私の場合も同じかもしれません。
3日ぶりに実家に帰り、2日前には電話で話し、帰宅し、ベッドで母が亡くなっている。
最初は認められませんでした。
死後硬直は始まっていましたし、体温も完全に下がっていました。
必死に手を動かそうとし、泣き叫びながら心臓マッサージ、人工呼吸をしました。
ただ、帰ってくるのは母の虚ろな目と死臭だけでした。
一緒にいたセコムさんが警察、救急車を呼び、事情聴取。
母は司法解剖にいきました。傷をつけたくありませんでしたが、仕方ありません。
別居していた親父は飛んできて、母を見て泣き崩れ、姉2人も泣き崩れ、何も考えられませんでした。
そして親戚一同が襲来、
「お前らのせいで死んだ!!」
「死ぬまでうらんでやる!!」
「あんたらなんかより私たちのほうがおばちゃんを知ってる!!」
こんな言葉を忘れることができるでしょうか。
その時から告別式まで数日間浴びせかけられ続けました。
優しかったおばちゃん、おじちゃん、親戚のお兄ちゃん、お姉ちゃんも全て鬼になりました。
私はただ下をうつむき、すみませんでした、の言葉を流していただけでした。
それだけ罵られても、お墓に入れてもらいに姉とともに頭を下げ続けました。
2番目の姉は途中で壊れてしまいました。
いえ、親戚を含め、全員が壊れてしまったのだと思います。
ただ、しばらくはカラッポでした。
私はある程度勉強を頑張ってきたと思っています。
ほかの事に対してもそうです。
もちろんサボったことのほうが多いかもしれませんが、やるときはやってきたと自負しています。
ただ、それは母が後にいたからだと思います。
頑張って、帰ってきたら、美味しいご飯を作って待っていてくれる。
それが一番嬉しくて今まで頑張ってきたのだと思います。
しかし、無くなった。
本当にカラッポでした。
母が亡くなったのは私のせいです。
常にそう思っています。
ただ、母は私を守って逝きました。
母は私に1人で生きていけるだけの力をくれました。
自分が後で背中を押してくれなくても、大切な友人と大切な人と一緒に前に進んでいける力をくれました。
亡くなって母の書類を整理していたら、保険も、土地も、渡せるものは全て渡してくれていたことに気づきました。
どこまでも母らしいな、と思います。
今後も父親との裁判など、色々とありますが、戦えるだけの力を残してくれました。
本当に感謝しています。
ただ、思うのです。
私は他の大多数の人が迎える「死」の形とは違う形で母の死を体験しました。
もちろん他の方はそれぞれの身内の「死」を体験してきたのでしょうし、するでしょう。
そして最終的に自らが「死」に至ります。
あのときのゼミ、目の前で繰り返される議論は私の前を素通りし、私の何の感覚器官にも触れてきませんでした。
私は今、美学をメインに学んでいます。
「美しいとは何か」
を考える学問です。
もちろん机上で語ること、考えることにも意義はあると思います。
しかし、例えばバレエについて美しさを語るとき、バレエを観ずに語ることはできるのでしょうか。
そのような人はいるのでしょうか。
そしてそれはあまりにも滑稽ではないでしょうか。
私たちの死亡率は100%です。
ただ、それを現世において体験することは不可能に近いと思います。
少なくとも、死に瀕した体験を綴る文章はあっても死を体験した文章は見つからないと思います。
私は今何を勉強しているのか分からなくなるときがあります。
ただ、力強く生きていきたいとは思います。
母は美しい人でした。
その場にいるだけでとんでもないオーラがありました。
私の憧れでもありました。
そんな母に、
「かっこいいじゃん。」
と言われたことが数回あります。人生の中で数回です。
自分の足で立って生きていくことはもちろんですが、かっこいいじゃん、と母に言われるような男になっていきたいと思います。
明日は1限からテストなのですが、ちょっと書き出したら大分書いてしまいましたね(笑
気合入れて、朝起きましょう。
それでは、おやすみなさいっ

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